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エアロ・ディテール11
ユンカースJu87D/Gシュトゥーカ |
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心に、イラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。第二次大戦開戦当時のポーランド侵攻作戦が圧勝のうちに終了した直後、ドイツ空軍はユンカース社に対し新しいJumo211Jエンジンの実用化に伴いJu87の新型Dシリーズの開発を命じた。Ju87Dの改修ポイントはエンジンのパワーアップに加え、胴体の全面的な再設計による空力洗練で全般性能向上を図り、防御兵装、防弾装備を強化することにあった。B/R型までの凹凸の激しい無骨な機首周りは、下面に潤滑油冷却器を置き、右側に突出度を押さえた過給器空気取入口を開口しただけのシンプルかつスマートな形状に改め、ラジエータはBf109と同じく左右内翼下面に小型化して分散配置し、空気抵抗を減少させた。キャノピーも全面的に刷新され断面はより丸味を帯びて空気抵抗の少ない形状に改めた。後端の防御兵装は従来のMG15
7.92mm1 挺からMG81Z 7.92mm連装に強化されている―(解説より)
<紹介機体>
バトル・オブ・ブリテン博物館―Ju87G-2 |
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エアロディテール12
ホーカー・ハリケーン |
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心に、イラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。第一次世界大戦終結後、1930年代は世界の航空機が大きな変化を遂げた時代である。航空機の有用性に着目した各国軍は航空兵力の充実と次世代の主力となる戦闘機の開発に余念がなく、それまでは複葉・羽布貼りが常識であった戦闘機も、単葉でしかも全金属製(金属応力外皮による機体構成)という新しいコンセプトによるものが登場、各国が競うようにこれを開発していた。もちろんイギリスもその例外ではなかったが、空軍の示した仕様を充分に満たすという意味においては、1933年当時計画されていたホーカー社の、フューリー単葉化計画による機体でも良かった。一方で新型エンジンの開発も進められていた。ロールス・ロイス社がケストレル・エンジンの後継として実験をしていたP.V.12がフューリー改造機の搭載用として正式に認可されるに至って、機体設計の全面的な見直しが行われ、1934年3月、改めて要撃単葉戦闘機としての開発が始まった。(解説より)
<紹介機体>
バトル・オブ・ブリテン博物館―HAWKER HURRICANE Mk.I s/n P2617
科学博物館―HAKER HURRICANE Mk.I s/n L1592
ザ・ファイター・コレクション―HAWKER CANADDIAN HURRICANE Mk.XII s/n Z7381 |
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エアロ・ディテール13
ノースアメリカンP-51Dマスタング |
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心に、イラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。今回は第二次大戦最優秀戦闘機ノースアメリカンP-51マスタングをご紹介。"4か月、120日井谷でP-40を凌ぐ戦闘機を完成させてみせる"というノースアメリカン社長キンデルバーガー氏の大見栄が発端となって誕生したP-51は不評をかこったアリソン・エンジンから、イギリスの傑作ロールスロイス・マーリンへの喚装によりその優れた機体設計が生き返り、一気に第二次大戦最優秀戦闘機へと大変身した。マスタングの優秀さは、誰もが認めるところなのだが素朴な疑問として、それまで戦闘機らしい機体を一度も設計したことのなかったノ社開発スタッフが初めての挑戦でしかも本当に120日以内という信じられない短期間の内にどうしてあれ程の設計ができたのだろうということが先ず出てくる。現在もなお、航空ショー、エア・レースにおいて、P-51Dの元気な被告姿を目にすることがDきることからも本機の類希な優秀さを示すなによりの証だろう。(解説より)
<紹介機体>
ミッドエスト航空博物館―F-6D-25-NT S/N 44-84786 "Lil'Margaret"
アメリカ空軍博物館―P-51D-30-NA S/N 44-74936 "SHIMMY IV"
プレーンズ・オブ・フェイム―P-51D/K *P-51K-5-NT S/N 44-11582 *P-51D-25-NA S/N44-74908 *P-51D-25-NT
S/N 44-84961A |
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エアロ・ディテール16
アラドAr234 |
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心に、イラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。 第二次大戦末期、世界に先駆けてジェット、ロケット軍用機を実用し、航空技術開発の最先端を走っていたドイツは、戦争の先行きが見えていたとはいえ、連合軍にとって、なお不気味な存在だった。その実戦投入された3種のジェット機の中でMe262戦闘機に次いで参加機数の多かったのが"ブリッツ・ボンバー(電撃爆撃機)"ことアラドAr234である。1944年6月から完成し始めた生産型Ar234B-2は敗戦までに計210機造られ、フランスに上陸してきた連合軍地上部隊に対する偵察、爆撃に使われた。しかし、"にわか爆撃機"としての運用は完全な失敗でほとんど実効果がなかった。搭載量が少ないうえに専用の爆撃装備を持たない1人乗りの高速機が小さな地上目標に正確な爆撃を加えることなど無理だった。戦術偵察機としてのAr234Bはかなり有効な働きを示し、連合軍レシプロ戦闘機は高空を高速で飛ぶ本機をほとんど捕捉不可能だった。Ar234は結果的には有効戦力にはなれないまま終わってしまったが、その存在意義は決して小さくなく、ジェット軍用機の先駆者としてもっと高く評価されるべき機体であろう。 (解説より)
<紹介機体>
アメリカ国立航空宇宙博物館―Ar234B-2 W.Nr140312 |
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エアロ・ディテール17
グラマンF6Fヘルキャット |
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心に、イラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。今回は「偉大なる凡庸グラマンF6Fヘルキャット」をご紹介。太平洋戦争の後半に登場し、日本海軍航空隊をその質と量で圧倒、米軍の対日戦勝利の立役者となった米海軍機動部隊の主力戦闘機である。緒戦期に華々しい戦績を残し、名声を欲しいままにした日本海軍の零戦もF6Fが登場した1943年後半には性能的な凋落が明らかになり、そのうえ搭乗員の質的定価、物量差も重なってF6Fに一方的に蹴散らされてしまった。F6Fの飛行性能は同じエンジンを搭載したF4Uに対して確かに低く、物足りないものだった。F6Fは傑作機ではないが極めて有効な兵器だった。必用とされた場面に迅速かつ大量に投入でき、実用性は申し分なし。平均的な技量レベルがあれば誰でも容易に扱える。実戦での撃墜数:被撃墜数=5,156:270.この実績こそがF6Fの兵器としての価値を示す何よりの証だろう。 (解説より)
<紹介機体>
ニューイングランド航空博物館―F6F-5 BuAer No.79192
プレーンズ・オブ・フェーム航空博物館―F6F−5 BuAer No.93879
カラマズー航空史博物館―F6F-5 BuAer No.79683
ヤンクス航空博物館―F6F-5 BuAer No.78645 |
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エアロ・ディテール18
ハインケルHe111 |
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心に、イラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。今回は「ハインケルHe111双発爆撃機」をご紹介。1937年から第二次世界大戦末期まで、ドイツ空軍爆撃機隊の屋台骨を支えた主力機種のひとつハインケルHe111はその軍用機らしからぬ優雅なスタイルでドイツ機のなかではひときわ異彩を放つ存在だった。搭載エンジンのJumo211系は初期のA-1の1,000hpからF-2の1,340hpへとパワーアップし、Hシリーズ各型の総合性能も少しずつ向上はした。しかし、1943年前半をもって昼間爆撃機としての命脈は事実上尽きた。その後も夜間のゲリラ的な爆撃や先導機、輸送機として使われ続けたが、もはや作戦の主力機にはなり得ない存在だった。大戦機というカテゴリーで捉えると旧式機の部類に入ってしまうが、扱い安く汎用性も高く、ドイツ空軍にはなくてはならない存在だった。 (解説より)
<紹介機体>
ノルウェー空軍博物館―He111P-2 W.Nr1526 Code"5J+CN"
スペイン航空宇宙博物館―He111E-1 W.Nr2940 |
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エアロ・ディテール19
ボーイングB-17Gフライング・フォートレス |
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心にイラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。今回はB-17Gフライング・フォートレス。いよいよエアロディティールシリーズにも四発重爆撃機が登場しました。1935年7月の試作機の初飛行から10年にわたって、通算12,731機が生産されたB-17はアメリカを代表する傑作機のひとつといえよう。仕様書では多発エンジン機と表記されていた点に注目いただきたい。多発エンジンといえば双発が常識であった時代にこれを四発エンジン機として設計することに決定し、XB-15で得たノウハウを大幅に盛り込んだ。社内名モデル299は瞬く間にその姿を現し、Y1B-17として採用される。その後も紆余曲折はあったが、B-17の先進性と優秀さはその後改修を加えられながらも、終戦まで第一線機として活躍していたことが証明しているし、戦略爆撃というコンセプトを生み出し実現した機体として長く記憶にとどめられることであろう。
<紹介機体>
アメリカ空軍博物館―B-17G-35-BO A/N 42-32076"Shoo Shoo Shoo Baby"
イギリス帝国戦争博物館―B-17G-95-DL S/N 44-83735"Mary Alice" |
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エアロ・ディテール20
ユンカースJu88
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世界に現存する名機の実物を取材した多数のカラーディテール写真を中心にイラスト、図面を収録したモデラー向けの写真資料集。第二次大戦におけるナチス・ドイツ空軍爆撃隊の花形といえば"シュトゥーカ"の通称名で広く知られたJu87がまず思い浮かべられるが、双発爆撃機しかも大戦全期間を視野にいれて…となると、同社のJu88をおいてほかにないだろう。その高性能(就役当時の基準で)を買われ、本来の爆撃機型のほか、駆逐機型、夜間戦闘機型、長距離偵察機型、雷撃機型などへも派生し、総生産数約15,000機(うち爆撃機型は約9,000機)という膨大な量からしても異論の余地はない。ヨーロッパ大陸内から大西洋、スカンジナビア、ソ連、地中海、北アフリカへと戦域が拡大、かつ熾烈化していくにつれJu88の量産にも拍車がかかり、このような様々な型式が登場してフル稼働する。1944年になると、Ju88の量産は機上レーダー装備の夜戦型Gシリーズが中心となり、Bf110にかわる主力機種として敗戦ノン日まで生産が続けられた。爆撃機、夜間戦闘機という、まったく異なる機種としても使い分けでき、なおかつ主戦力として君臨し得たという事実、これだけみてもJU88が非凡な能力をもつ機体であったことの証明だろう。 (解説より)
<紹介機体>
アメリカ空軍博物館―Ju88D-1/Trop W.Nr430650"Baksheesh"
バトル・オブ・ブリテン博物館―Ju88R-1 W.Nr360043 Code"D5+EV"
ノルウェー軍事博物館―Ju88C-2 W.Nr0880133 Code"4D+FH" |
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